※本頁の記述は、2011年に改稿・修正・【】内の注釈付記を行いましたが、描写内容は2003年11月当時のものです。現状と異なる場合が在ります。
2003年11月15日未明。新木場で7氏と合流。
奥只見方面へ向かう見込みであった模様ながら、東北道が事故で川口から通行止になっているので進路は南へ。
井川雨畑林道はどうでしょうね、とも話したが、しょっちゅう不通になってていつ通れるか判らないので見送る。
深夜の東名を下って富士川SAで5時間程仮眠。SAのテレビでNHK名古屋局の朝のローカルニュースと天気予報。
浜松で降りて北上、遠鉄西鹿島駅の先の天竜川を越える鹿島橋から点線国道R152へ。未成線佐久間線に沿って走る。
■全通は遠い夢 佐久間線
佐久間線は遠江二股(現天竜二股)−佐久間までの間の内、遠江二股−遠江横山間が着工され、5割の路盤が完成した後に凍結された鉄建公団AB線。
放棄隧道とその取付部分を幾つか見ながら進むと、佐久間線最大の構造物区間である船明の大築堤の袂に辿り着く。
2km近くに渡って延々と大築堤の連なる勇壮な(ある意味悲壮な)区間であったらしいが、現在は生活道路が潜る函渠(ボックスカルバート)の部分が取り壊され、ブチブチと細切れになっている。保守管理の必要な構造物部分だけ取り壊した様だ。
船明の大築堤が終わると佐久間線は船明隧道で船明ダムの湖岸へ出る。
ここで船明ダム湖を越えていたらしい第一天竜川橋梁の橋脚は、ダム湖の水を抜く大工事の末撤去されたとの事でいまは無し。
R152を船明ダム湖沿いに走ると湖上に赤いアーチ橋が姿を見せる。
長らく放置されている事で佐久間線の象徴として有名だった、第二天竜川橋梁の橋脚を利用した「夢の架け橋」。
・静岡県浜松市天竜区大川の地図(34.9061436111111,137.819133611111,1/8000):マピオン
佐久間線の遺構はここで終わる。終着駅佐久間までは直線距離でも3/4以上を残しており、全通は遠い夢だった事が判る。
佐久間線のルートには鉄道代行的な国鉄/JRバス佐久間線が走っていたが、近年路線の一部を民営・町営に分割委譲して撤退した。
相津駅予定地近くの相津バス停にはまだ「国鉄バス」と大書きされたベンチが残されている。
■途切れた国道を阻むもの 青崩峠
秋葉ダムまで車を走らせると路面が濡れてきた。朝方に一雨あった様だ。佐久間ダムから逃げて付け替えられた飯田線と離合し、一つ目のR152分断区間である青崩峠へ。
突然目前に高速道路様の構造物が姿を現す。R152未開通の青崩峠を、隣の兵越峠へ迂回する為に部分開通して一般道として供用されている三遠南信自動車道(R474)の草木トンネルだ。
・青崩峠道路 || 三遠南信自動車道 || 国土交通省 中部地方整備局 飯田国道事務所
【図上で右へ逸れて行くR474が草木トンネル。近年の地質調査で草木トンネルルートは県境付近のトンネル工事に難があると判り、結局現予定線のルートへ変更されたため草木トンネルは今後の処遇が不透明となっている。】
・静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家の地図(35.2329022222222,137.903995,1/75000):マピオン
直進すれば三遠南信道で、本来本線であるべきR152は脇道の様な道になってしまっている。まずは三遠南信道へは入らずに旧道を青崩峠へと登って行く。
R152だった筈の道が途中の足神神社から林道青崩線に変わってしまい、これをほぼ登り切った所で「青崩峠遊歩道入口」の看板。
ここからR152の青崩峠点線区間…徒歩でしか通れない点線国道区間の始まりである。
青崩峠まで徒歩15分程。……ほぼ2徹の状態に日頃の運動不足も祟って息を上げながら登る。途中、沢に掛かる崩れ掛けの木橋や、濡れ落ち葉の積もった幅50cm程の崖上の小径(柵無し)に戦きながらも峠に到達。
峠には僅かなスペースしかなく、静岡県側の崖上にウッドデッキを組んで休憩場所を確保している。
ふと見るとウッドデッキの端に木箱が建ててあり、「落書き帳」との記述がある。早速7氏を呼び寄せて中のノートを取り出す。
雨露で濡れない様ポリ袋にくるんであり、ペンもある。「流石にここまで来てる2chねらーは居ないだろうな」と7氏。
だがノートを開いてみると、「もつかれ。」の文字が……来てるじゃん……。折角なので「峠キタ━━━━━━━━━━━━ !!」と記す。
県境は何処だろう、と気付く。探してみると、赤く塗られたコンクリ杭があった。しかし峠のサミットから2、3歩長野県側に下った位置に建っている。と、云う事は青崩峠は静岡県側にある訳だ。どうりで峠に建っている看板や碑の類が全て静岡県側の物ばかり。
長野県側もすぐに下りの階段が始まり、長野県側のR152まで点線区間が続いている。
峠を戻って三遠南信道へ入る。道路標識も高速国道用の緑の標識が使われており、インター番号が空白なだけで完全に高速道路の様子。
その緑の高速国道標識で「↑飯田」なんて書かれてある訳で、そのままこの高規格道路で飯田まで行けそうな気にさせる実に罪作りな標識だ。
勿論、実際には高規格な三遠南信道はトンネルを抜けてすぐに終わり、ここからは兵越林道になってしまう。全く詐欺な標識としか云いようがないが、それに騙されてみるのもまたR152走破の醍醐味である。
R152不通区間を兵越峠で迂回して、静岡県水窪町から長野県南信濃村へ。兵越峠には、遠州と信州の国境を綱引きで決めると云う「国盗綱引公園」が整備されていた。
■山奥の村々 南信濃村・上村
南信濃村は実に良い雰囲気の村落で、ここにある信南交通の和田営業所は鉄道模型のストラクチャーを思わせるバス3台分の小さな木造車庫と土壁の待合・事務所が建っている。そこに真新しい中型ハイデッカーのセレガが置いてあるのはミスマッチで実に趣味的。
以前は飯田線の平岡へ出るしか無かった村だったが、後述する三遠南信道の矢筈トンネルが開通して飯田市街へ繋がり、このセレガを使った飯田直行便が走る様になったそうだ。そう言えば昔、平岡駅前で上村行きの信南交通バスを撮影していた事を思い出した。
【後日ここにその写真入れるかも知れません】
山間に古びた商店の並ぶ、いつまでも佇んでいたい様な雰囲気の南信濃村を抜けて、上村へ。R152の上島トンネルを出てすぐの場所で、金網のロックシェッドの様な物に守られながらトンネルの上を越えて行く林道赤石線が分岐。
所でこのロックシェッド風の物が謎だ。道路上部を索道が通っている場所でよく見掛ける落下物防護シェッドによく似ているが、付近に索道が通っている、又は通っていた形跡はない。なんだろうか【これ実はスノーシェッド。雪は金網に目詰まりするように積もるのでスノーシェッドの役を為すというわけ。トンネル状の建築物より簡便軽量で良いらしい】。
林道赤石線の入口には通行止区間の予告があり、しらびそ高原の先で不通で、地蔵峠へ抜ける蛇洞林道方面へは抜けられない事が標されていた。直接蛇洞林道へ抜けられなくても一周してR152へ戻ってくる事は可能なので、そのまま車を進める。
赤石林道を進み、途中ポイントを間違えたりしたものの、とんでもない急傾斜に民家がへばりつくつづら折りの細道を登って下栗の里へ。
余りの転回回数の多さに「ホイールベースの短い車がいいー」などと漏らしてしまう程。
・南信州・遠山郷「下栗の里」|下栗の里
・長野県飯田市上村の地図(35.3692561111111,137.988703611111,1/8000):マピオン
【当地は2010年にサカイ引越センターのTVCM「感動がエンジン篇」で使われた。動画でも観ることの出来る、トラックが登って行く急勾配の九十九折りがここ。】
ここで天辺に建つ「そば処はんば亭」のざる蕎麦で昼食。昼食後に登って来た谷側に立ってみると、遠山川から切り立つ眺めはなかなかのもの。「標高はどの位でしょうね」と話していたが、後で国土地理院の地形図で見ると1100m程の様だ。数字で見るとそんなに高い訳ではないのだが、それが一気に谷底から切り立っているのである。知ると立つではこうも違う。
国土地理院の地形図では「半場」とある所の左、学校記号のある場所に当たると思われる。今は学校は無いが、閉校した校舎を地域でそば処として維持しているのか……。
土曜とは云え駐車場にはひっきり無しに車が訪れ、こんなとんでもない場所なのに結構賑わっている事が判る。場所柄か、中京、関西圏ナンバーの車が多かった。この内1台とは後で妙な所で再会する事になるが。
前述の工事の為、下栗から隘路としか云い様のない見通しも利かぬ怪しげな迂回路を、カーブの度に立つ警笛標識に従って吹鳴しながらR152へと戻る。やれやれ。
上村の中心部、上町を通る。この辺りには以前、森林鉄道の機関車と人車2両が置いてあったそうだが、いまは朽ちた人車が1両放置されているのみ。そもそもこの場所自体は森林鉄道とは無関係だという。
上町を抜けてR152を北上していると、雑談の途中突然目に入った。「あれっ、機関車…?」道路脇の広場に機関車が置いてある。
ペンキも綺麗に塗り直された酒井のDLだ。が、台枠の「SAKAI」のSが欠落して「AKAI」になっているのはご愛敬。
かつての森林鉄道を解説した図入り説明板も立っており、ここに整備して保存している様だ。上町から移したらしい。
看板の説明によると、かつてはこの広場が森林鉄道の始発ヤードで集材所だったらしく、ここからトラックに積み替えて飯田線の駅へ運び出していたと云う。トラック輸送に切り替える以前が馬車か水運だったのかは判らない。
酒井の置かれているレールのゲージはやはり609mm、森林鉄道と云えば2フーターだ。レールは磨り減った9kg/mだろうか?
だが、それにしてもその下に敷いてある枕木がやたら広いのが気になる。新しめなのでJRから中古を貰って来たのだろうが、敷いてある線路が609mmと云う事を差し引いても変に広い気がする。
かつてレールが乗っていたらしい窪みを探して測ってみると……何と1435mmの御様子! 新幹線の構内用に使われていた枕木なのか? 609mmの森林鉄道のレールと機関車が、倍以上ある新幹線の枕木に乗っていると云うのもかなり凄い。
人車は見当たらない。機関車の後ろにまだスペースがある事から、今後整備して人車も置くのでしょうね、と話しながら車をスタートさせると、隣接した食堂の草むらにブルーシートでくるまれた物体がある事に気付いた。
大きさといい、長さといい……「あれっ、人車じゃないですか?」「ああそうだね、あれ」。
上町にあった人車の残り1両はちゃんとここへ運ばれてきていた様だ。整備が済めば公開されるのだろう。
【2011年現在、同地での動態復活へ向けた活動が行われている。
・信濃毎日新聞[信毎web]2011年05月21日付 遠山森林鉄道を再び 飯田市南信濃の有志らがグループ (cache)
・信濃毎日新聞[信毎web]2011年09月25日付 夢へのレール、32メートル復元 遠山森林鉄道の会 (cache)】
■山奥の村の生活を変えた道路 三遠南信自動車道矢筈トンネル
やがて上村の程野と云う地域に入った。平岡から南信濃村、上村と辿って来た信南交通バスはここが終点で、宮脇俊三氏の「ローカルバスの終点へ」でも書かれていた場所だそうだ【実は当時未読。後にちゃんと読んだ】。かつてはここがどん詰まりの最末端だったのである。しかし現在は違う。
ここから三遠南信道矢筈トンネルが開通し、飯田市街まで数十分で結ばれた結果、飯田行きの直行バスがこの先へも走っている。
・小川路峠道路 || 三遠南信自動車道 || 国土交通省 中部地方整備局 飯田国道事務所
【この区間では2011年、更にバイパス新道も開通し「ローカルバスの終点へ」はまた過去のものとなった。
・国道152号の豆嵐地区バイパス区間が開通 ≪南信州新聞 ミナミシンシュウ.jp 2011年 7月 5日付 (cache)】
そのまま進むと前方にまた大規模な自動車専用国道の偉容が姿を現した。本来本線であるべきR152はまた脇道の様になっており、まっすぐ進むと矢筈トンネルに入る。一旦R152の入口をやり過ごして矢筈トンネルへ入ってみる。
このトンネルは4000m以上の長大トンネルで、しかも最初緩やかにカーブしている他は直線。高速道路規格とあって、速度も出る。
トンネル火災に備えたものか、途中2箇所に転回所が設けられている。
トンネルを抜けてみると、いかにもICの出口へ降りるかのように本線の横へ誘導される。この先は例によって未開通なのだ。
本線は一応この先も作ってあるが、山にぶつかる直前で途切れている。……山陽新幹線の末端部分(博多南へ降りる線路の先にも本線高架が作ってある【当時九州新幹線は未開業】)を思わせる光景。ここはその名も喬木インターと云うらしい。山中に大規模なスパイラル橋が作ってある。
【・三遠南信自動車道 || 国土交通省 中部地方整備局 飯田国道事務所
ここの「喬木インター付近」がその途切れた本線とスパイラル橋の様子。この先は飯喬道路と云って事業化が進められている。
・飯喬道路 || 三遠南信自動車道 || 国土交通省 中部地方整備局 飯田国道事務所
・「天龍峡大橋」年内着工へ ≪南信州新聞 ミナミシンシュウ.jp 2011年 6月 18日付 (cache)】
ここでUターンしてもう一度矢筈トンネルを抜け、R152へ戻る事にする。
■国道はその先の点線へ 地蔵峠
・長野県飯田市上村の地図(35.4375933333333,137.994537777778,1/15万):マピオン
さっきはやり過ごしたR152の入口から進むと、R152を趣味の対象とする者には有名な、直進方向に「152号通行不能」と書かれた案内標識が現れた。補助標識にも「この先4km通行不能」の文字が踊る。
先の地図で判るとおり、この先またR152は点線区間……未開通区間であり、車では地蔵峠、大鹿村方面へは右折して蛇洞林道を迂回しなければならない。
が、R152はまだ一応この先も4km続いている訳だ。では行ってみよう、という事で直進。上村川に沿って上流へ遡って行く。
河川工事が行われている脇の狭い1車線で交換は出来ない。ところが、来る筈もないと思われていた対向車がふいに現れる。
この先には何もない筈で、対向車など来る筈無いのに? と、その車はよく見ると下栗の「はんば亭」駐車場で見掛けたワゴン。どうやらご同好の志だったのか……。
少し後退して貰い、河川工事現場の入口で待避して貰って交換する。
更に進むと分岐が現れた。既に152の路線標識も無く、似たような荒れ道でどっちがR152なのかまるで判別が付かない。が、直進方向には「この先行き止まり」の標識が建っている。R152が他の脇道より先に行き止まりにはなるまい、と云う事で左へ折れる。
この先は舗装こそされているものの酷い荒れ道で、山側から小規模な土石流が川へと流れ下った痕跡があって道路に車の屋根より堆く礫の山が出来ている。
1箇所目はなんとか車幅ギリギリでかわしたものの、2箇所目の大きな堆積礫の地点で進入を断念、引き返す。
戻る際に分岐地点で「冬期閉鎖区間 飯田工事事務所」の看板を発見。進入した方がR152だった事は間違いなかったらしい。そうか、あれがR152なのか……。
後から地図を確認してみると引き返したのは多分この辺で、惜しい所まで行っていたのではないかと思う。あれより進むにはオフローダーでないと不安だ、とは同乗者との見解。
因みにR152の地蔵峠末端部分は道が河原に吸い込まれていって終わるそうな。
車が通れる道としてはここで終わりだが、地図の通り、徒歩でしか辿れない点線国道が地蔵峠へと続いている。
この区間を開通させる気は果たしてあるのか……と云えば多分あるまい。山間部の峻険な国道と云うのは、かつて徒歩で通っていた街道を明治・大正、下手すれば昭和以降になってから最低限車が通れる程度拡幅して開通させたものだろう。そして、それすら出来なかった区間がこの様に点線区間として残っている。こういった区間はトンネル等でバイパスを行わない限り、自動車道としての開通は見込めない。
だが、それが僕等のような好事家と趣味人を惹き付ける。
さて、戻って蛇洞林道へ入り、車で地蔵峠を目指す。蛇洞林道として知られるこの道だが、上村村道1号線という路線標識も建っていた。
地蔵峠に到達すると、ここから再びR152。大鹿村へ入る。先に触れた様に、ここから上村側のR152へ点線区間で繋がっている。
僕は実見していないが、ここの点線区間には国道標柱が建っていると云う。
■人口ゼロ地帯から人里へ 大鹿村・分杭峠・高遠
この先はひたすら峻険な山道を高遠まで走り続ける。途中、大鹿村の中心部で多少拓ける以外は沿線民家も全くなく、他の車輌も殆ど通らない孤立無援地帯となる。
実は携帯電話【当時はPDC。】の電波も青崩峠手前の水窪町奥領家の基地局を最後に圏外のままで、いざという時の救援依頼も出来ない。
分杭峠の標識は何故か2枚ある内の片方が「抗」と誤っている。
【いまでこそオカルティックな話題で有名になってしまったが、当時から磁場がどうのとの話はあったものの、まだ無名もいいところで後の様なフィーバーは一切起きていなかった。】
分杭峠をしばらく下ると、やがて人里が現れた。伊那里である。ここからは新宿行のJR高速バス南アルプス号が1日2往復走っており、道路状況も格段に良くなる。あいにく新宿行は出たばかりで、姿は見れなかった。
左に見る美和ダム湖の対岸に高架道路の様なものが建設されていて、何だろうと思う内に小休止。そろそろ7氏、筆者共に眠気が襲い始めた。ことにドライバーを一人で担当している7氏は疲労も大変なものの筈だ。
ここまで長駆走らせてようやく現れた道の駅、南アルプスむらに立ち寄る。R152はこれだけ長い割に、道の駅は数百kmに渡って全く無い。因みにコンビニも天竜二股周辺の市街地を最後に茅野まで無い。まるで二昔前のような条件下でドライブする訳で、自給自足態勢で望まないと大変だ。
道の駅のロビーに誰も見ていないテレビがあったので、スイッチを入れてチャンネルを廻してみる。
土曜の16時台なので長野ローカルニュースを観る事は出来ず、東京と同時中継らしいスポーツ中継が多い。それでも、東京では夜に放送のバラエティ番組をこんな夕方の時間に流すローカル編成は垣間見る事が出来た。
長野には無いビックカメラのCMを長野で流す理由は、東京へ新幹線で買い物に来た時の集客効果を狙ってなのか……大宮西口店開店セールだし。
地元のCATVらしく、1chで地元交通情報などを文字情報で流しているのが一番ローカルの色濃い部分。ただ、町道**線は**時から**時まで工事のため通行止めとか書いてあっても、余所者にはその道が何処かさっぱり判らないのが辛いところw。
ここでは携帯の電波も入るようになり、自宅に今夜帰宅の旨連絡をしておく。日が暮れて来た。
そこから少し走らせれば高遠。こぢんまりとした町で、統一された景観が良く出来ている。ここでJRバスの高遠駅に立ち寄る。
現在も過去も鉄道が通っていたことは無いが「駅」を名乗っているのが如何にも元国鉄バスらしい。
■眼下の光の海へ 杖突峠・茅野市
高遠から引き続きR152で茅野を目指そうとして、伊那市方向のR361に入ってしまった。引き返してR152へ。
すっかり日は落ちて、夜闇を走る。こちら側からの杖突峠は下り一方の片方向峠。峠を下り始めると、茅野の市街地の明かりが眼下に広がる。甲府盆地へ降りて行く中央本線の夜景などと並べたい見事な光景。
長い長い過疎地の山岳走行を終えて、文明の光が溢れる都市へと下って行く様は非常に印象的で、ラストフィナーレに相応しいものだった。
山から下りて都市の中へと帰って来た時、人の息づく活気ある都市というものに住まう人間である事を再認識出来る瞬間として、生涯忘れることはないとすら思う。そんな光の洪水の中へ、長駆走り抜いた車はゆっくりと下りて行った。
諏訪ICから中央道を東上。途中、白根まで1区間のみ部分開業している中部横断自動車道に接続する双葉JCTを初めて見たり、仮眠休憩を取ったりしながら帰京。
ドライバーの7氏に於かれましては本当にお疲れ様でした。